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ひと ― 過去から未来へ 【古賀道弘さん(1)】

古賀 道弘さん

医学部時代の写真

医学部名誉教授、聖マリア病院顧問  (96歳)  久留米市在住


古賀が描いた水墨画が自宅のリビングに掛けてある。

「昔はここで同僚や後輩を集めて飲み会をしたものだよ」

 

医学部に第二外科が開設されたのが昭和30(1955)年。

心臓外科と胆道外科が教室の二本柱だった。

胆道外科が専門の九州大学助教授、西村正也を教授に迎えスタートした。

当時、九大から一緒に来たのが古賀だった。

父が営む甘木の病院を継ぐつもりが、請われて助教授になった。

 

米留学帰りの西村は「心臓手術を九州で初めてやる」との気概に燃えていた。

心臓手術は東京などで既に行われていたが、九州ではまだ術例がなかった。

西村に続き、昭和32年には心臓病の専門家、木村登が請われて九大から着任。

第三内科を開設すると、九州各地から患者がどっと来たと話す。

木村の世話で西村が留学した仲だといい、二人は同級生だったという。

 

「久留米大学は心臓病を治すメッカと言われていたよ」と古賀。

その後、九州大学に戻る西村の後を継ぎ、古賀が昭和40年に教授になった。

 

心臓の弁膜症を治すために人工弁を九州で初めて導入したが、

米国製の器具を手にして「こんな物を入れて本当に助かるのか」と半信半疑の古賀。

命が5年もてば十分とされた患者が20~25年と生き永らえたと言い、

その効果と効用を実感した。

 

昭和41年ごろ、海外に出かけた。

インドのニューデリーであった世界心臓病学会で症例発表を行い、

2カ月かけて心臓外科に取り組む欧米諸国を見て回った。

驚いたのは、手術症例が日本と比較にならないほど多いこと、現在の古賀さん

それに、技術が格段に進んでいた。

例えば、人工心肺を操作する専門家が執刀医師とは別にいたことだ。

当時の日本に専門家はおらず、医師が人工心肺を操作していたという。

 

昭和53年の創立50周年では、記念式典の世話役を務めた。

大学敷地内にタイムカプセルが埋められたのは同窓生の間では周知の事実だ。

「教室や研究所の業績を集めて入れたよ」と古賀は懐かしむ。

古賀をはじめ当時の人々が紡いだ夢の軌跡は、創立100周年の2028年に開封される。

(敬称略)