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教員コラム(13)

スポーツ医科学科/右田 孝志

   ekiden    presentation

  『どこから来たか』でなく、『どこへ行くか』が重要

 浦上先生、お疲れ様でした。浦上先生から襷を受け取って今回のコラムを担当するスポーツ医科学科の右田孝志です。大学の授業は、教員の研究(分野)が基本となっていると思いますが、その研究分野へのきっかけとなった「陸上競技長距離走」の思い出を自己紹介代わりに書きます。

 私が長距離走に取り組み始めたのは中学からです。熱心に指導される先生との出会いがきっかけでした。しかし、ハードな練習の日々で、1年生の夏休み前頃には、何か非社会的な行動を起し、その理由を問われたときに、「部活の指導が厳しすぎると答えれば、もしかしたら先生も練習方法を考え直すかもしれない」なんていうことを妄想することがありました(この状況はイメージとして未だに頭にあります)。中学校から高校の冬までは「鳴かず飛ばず」の成績でしたが、高校3年生の春には何となく「走るってこんな感じなんだ」という感覚をつかみ始めた気がしました。その後、大学1年目の夏にスランプに苦しみましたが、あとの陸上人生は順風満帆でした。特に、3年生から4年生にかけては飛躍的に記録および勝負強さを身につけたと思います。その頃、練習において最も気を付けていたことを今振り返ると、「無理をしない」、「不安」という言葉が当てはまるようです。練習で「無理をしない」というのは、最後は無理をするけど、その無理が最後まで続くところに来るまでは無理をしない、という感じだったように思います。中学、高校と失敗を数多くしてきたので、練習の時でさえ「この前はいい感じで走れたが、次は負けてしまうのではないか」という不安感が常に付きまとい、その走れない不甲斐なさを味わいたくないと感じていました。そのために何をすべきか。不安を払拭するために、ポイント練習では常にレースと同じコンディションで臨むための準備を心がけました。こんな側面も結果に繋がった気がします。練習をして、結果が出た、あとは一般的な流れで、身体のこと、運動能力についてもっと専門的な勉強をしようということで大学院進学、そして現在の職業へと進みます。

 中学校から陸上の長距離走をはじめ、色々なことがあり、様々な恩師に出会い、素晴らしい仲間、先輩、後輩と出会い、そんな中で精一杯走れたことは宝物です。それを大学院進学とともに自ら諦めました。それだけ大学院の勉強が厳しかったのか。確かに、厳しかった。しかし、本当に好きなことを諦めるほどだったのか。結局、走ることを諦めたのは自分への言い訳であった気がします。『スポーツをメインにやってきた者が、その専門のスポーツを諦めて勉強しているのだから、その気持ち、意欲を評価して下さい、諦めるくらいに一生懸命に取り組んでいますよ』。何と愚かなことよ。実質的に、たかが1時間や2時間、自由にできる時間のないわけはない。

 好きなことを自ら諦めるという選択をした思考は明らかに間違いであった。現在、後悔している。そこで考えるべきは、時間、努力の配分であって、如何に上手く、効率よく行うか。学生諸君、本当に好きなことであれば、続けた方が良い。続けても何も言われないほどに頑張れば、それで良い。

次回は総合子ども学科の中山先生にバトンをお渡しします。

 私の希望は、中山先生のピアノ伴奏で唄うことです。私の歌を上手くリードできるのは中山先生しかいないという素晴らし先生です。お楽しみに。