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ひと ― 過去から未来へ 【古賀道弘さん(2)】

古賀 道弘さん

古賀先生

医学部名誉教授、聖マリア病院顧問  (96歳)  久留米市在住


医療過疎地の存在。

今でも普通に耳にする古くて新しい問題だ。

 

医学部は、九州医学専門学校の時代から

無医島・無医村の診療に携わる社会奉仕活動に熱心だった。

 

創立70周年記念アルバムには、

昭和16(1941)年に無医村診療団が組織され、

太平洋戦争の激化でいったん昭和18年までで中止になるも、

医学部が昭和29年に夏季診療班を派遣し、

昭和49年まで毎年、各地で診療をした、とある。

 

初めは学生が自主的に阿蘇や九重などに出かけていた。

「学生たちが意欲的に寄付や薬を集めて運営していたよ」と古賀。

昭和40年ごろから、大学が力を入れて大々的にやるようになったという。

 

古賀も診療団に加わった。写真には「昭和41年7月」とある。

行き先は沖縄本島北方の離島、伊是名村だった。

歓迎の旗を掲げる地元の皆さん

島に着くと、「歓迎 久留米大学 夏季診療班のみなさん」

という横断幕で手厚い出迎えを受け、いたく感激した。

沖縄へは学生、医師、看護師を含め約40人で出向いた。

やけど、ヘルニア、痔の手術。あらゆる疾病に診療班は対応。

2週間の滞在はあっという間に過ぎた。

 

昭和47年に沖縄が米国から日本に返還されるまで続いたという。

久大医学部で学んで故郷に戻った沖縄の医師会幹部の強い要請だった。

 

その後、大学同窓の要請で長崎県対馬の無医村に出かけたり、

タイでのカンボジア難民救援医療団に加わったりした。

「頼まれて、よそ行きが多かったことはよく覚えているよ」と語る。

 

戦時下のパレンバン(インドネシア)派遣に始まる海外への医療団。

パキスタン、ケニア、ネパール。

多数の人物が関わり、各地で医療貢献の足跡を残した。

 

古賀は、横倉義武の若い頃をよく覚えている。

日本医師会会長で、世界医師会会長になった横倉のことだ。

昭和44年に医学部を卒業した横倉は、実家のヨコクラ病院を継ぐまで医局に在籍。

古賀の指導を受けながら、医師として懸命に働いていた。

「優秀で語学も達者、研究も熱心だったな。診療中の様子

ソフトな感じで人の世話をよくする。評判が良かった」

古賀は当時の横倉をこう評した。

 

久留米大学、とりわけ医学部は、

昔から地域や世界と関わりあっているのだった。

そして、これからもずっと。

(敬称略)