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ひと ― 過去から未来へ 【根城 堅さん(2)】

根城  堅さん

根城堅さん

根城昼夜・第5代理事長の長男
久留米リハビリテーション病院デイケアセンター長(77歳) 久留米市在住


時計の針を少し過去に戻そう。

 

太平洋戦争のさなか、

久留米大学の前身、九州医学専門学校は昭和17(1942)年、

スマトラ(インドネシア)のパレンバンに医療団を派遣している。

一行69人の団長は当時の校長溝口喜六で、

根城昼夜は副団長として加わった。本の表紙

 

堅が昼夜から聞いた話では、

石油備蓄基地の近くに病院があり、

そこを攻められてはいけないということで、

日本陸軍の軍属のようにして、現地に赴いたという。

敗戦色が濃くなる中での診療は、不安と焦燥以外の何物でもなかったろう。

 

当時の詳しい事情は、昭和22年の復員完了から21年後に

「パレンバンの医療団」という本にまとめられた。

歳月を経てもなお関係者の記憶が鮮明に残っていたのか、

「予想以上の協力原稿」が寄せられる。

分厚い冊子は、当時の史実を知る貴重な史料であり、出版祝

発行責任者だった昼夜の原稿もいくつか掲載されている。

 

終戦後にパレンバンから復員した昼夜は、

家族と今の朝倉市に移り住み、診療所を開業してつましく生計を立てていた。

 

ある日、久留米市に移住することになった。

「久留米保健所長の席が空席になっている。

所長の仕事をしながら同窓会の世話をしてくれないか」

当時の第3代理事長、小野寺直助の計らいだったという。

 

それ以来、昼夜は久留米大学の経営に密接な関わりを持つようになった。

久留米大学五十年史によると、昼夜は

「小野寺学長兼理事長の苦難時代の大学運営に協力」とある。句碑と根城親子

同窓会長から常務理事代理、常務理事と就任し、

第4代理事長の石橋正二郎を補佐した。

 

昼夜は俳句が趣味で、句集を何冊もしたためていた。

旭町キャンパスの片隅にひっそりと昼夜の句碑が立つ。

 

堅と一緒にその句碑を見に訪ねた。

親子そろって傍らに並んだ当時を思い出す堅。

句碑には「春愁の時はながるるちくごがわ」とある。

昭和55年冬の建立で、昼夜が理事長を退いた年のこと。

大学とともに歩み、万感、胸に迫るものがあったに違いない。

(敬称略)