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【研究者インタビュー】外科学講座(心臓血管外科) 田山 栄基教授

研究活動は多くの研究者により支えられています。このコーナーでは、本事業に関連する研究者を中心に、研究内容やその素顔を紹介していきます。

外科学講座(心臓血管外科) 田山 栄基 教授

所属部署について教えてください。

外科学講座は1928年の本学創設とともに開講し、心臓血管外科は1955年に第2外科として新たに開講したのが始まりです。その頃、本学の循環器内科の診断、治療力が向上し、「当院にも心臓血管外科を」という強い要請があり、初代教授にアメリカ帰りの西村正也教授を迎えて、心臓血管外科と胆道外科を看板として始動しました。

田山先生

本学では、1960年に初めて人工心肺を用いた開心術(胸を開いた心臓切開手術)を行っています。これは九州初の快挙で、国内でも5番目の実施施設になりました。2代目古賀道弘教授の時代には、1965年に国内トップ3の開心術症例数を誇り、当時の日本の心臓血管外科を牽引しました。その時代に、数多くのオリジナルな手術法も生み出されています。その後、大石喜六教授、青柳成明教授、田中啓之教授と受け継がれ、私が6代目を務めています。

講座では、弁膜症疾患、虚血性疾患、大血管疾患、先天性疾患、末梢血管疾患と、全ての心臓血管疾患に対して治療、研究を行なっています。

開心術第1症
久留米大学 1960年6月3日 開心術第1症例

この道に進むことになったきっかけ、これまでの歩みを教えてください。

学生時代から循環器という分野が好きで、レントゲンや心電図から病気を予測し、他の所見と合わせて順序立ててその病気を明らかにしていくところが、論理的で面白いと思っていました。また、循環器系の病気は急激に症状が悪くなることもありますが、医師が迅速な処置を実践できると劇的に症状が良くなります。そういうスピード感に惹かれていました。

そんな中、大学4年生の時に父が心筋梗塞になり、本学で冠動脈バイパス手術を受けました。家族として大変心配しましたが、手術は成功裏に終わり、心臓血管外科の先生方への感謝の思いとともに、自分も心臓手術が出来るような医者になりたいという強い憧れを抱いたのが、この道に進むきっかけだったと思います。父は消化器外科医でしたが、私が心臓血管外科医になることを喜んでくれました。相談した先輩方、同僚達も後押ししてくれたので、迷いは全くありませんでした。難しいことにチャレンジしたいという思いもありました。

学生時代
学生時代はラグビー部で活躍、心臓血管外科医になることを後押ししてくれた仲間たち
(1989年西医体準優勝、田山先生は前列左から2番目)

これまでの歩みについて教えてください。

心臓血管外科医としての大学院は、動物実験での移植免疫をテーマに研究しました。当時、まだ日本では移植が行われておらず、それでもいつかの移植のためにと研究を行っていました。そして卒後5年目にアメリカ留学しました。

アメリカ留学では、心臓外科の歴史とも言える偉大な3人の先生に従事しました。初年度は、Coselli教授(大血管手術の権威)の下で数多くの大血管手術を学び、2年目からは能勢教授(人工心臓の父)、DeBakey教授(近代心臓血管外科の礎)の下で植え込み型人工心臓開発(NASAと共同研究開発)に携わりました。

3人の偉大な先生

3年間アメリカに在籍しましたが、最後の年にはDeBakey VADという軸流ポンプのプロジェクトリーダーまで任されました。それまでの植え込み人工心臓は、カップ焼きそばくらいの大きさでしたが、この研究により、単1乾電池くらいの大きさになり、小型で高性能の植え込み人工心臓として実用化されました。DeBakeyVADは私が帰国した次の年に、人に植え込まれる最初の連続流ポンプ(拍動がないポンプ)となったので、そのプロジェクトに大いに関われたことを誇りに思います。

連続流ポンプ

植え込み型人工心臓は、心臓移植までの橋渡しとして使用されますが、欧米では移植を必ずしも前提としなくても人工心臓で循環を維持して人生を全うしていく方法「Destination Therapy(長期在宅補助人工心臓治療)」も広がっています。日本では昨年、一部保険適用が認められ実施基準に従って治療が開始されました。今後国内でも普及することが期待されています。

帰国してから、久留米大学でも人工心臓の臨床応用に取り組みました。当時の保険適用範囲で行ったため、植え込み型ではなく体外設置型の人工心臓でしたが、本学では初めての臨床経験で、画期的な出来事となりました。

久留米大初


その後、本学の青柳教授のもとで多くの心臓手術を経験し、2008年から12年間、九州医療センターで、弁膜症、大血管、冠疾患といった成人心臓病手術を手がけました。ここでは九州大学の先生方と一緒に仕事をしてきました。心臓血管外科では、複数の大学でチームを組むというのはかなり稀なことですが、私にとっては他大学の先生方と互いにリスペクトしながら真のチーム医療を実践するという大変いい経験になったと思います。そして2020年6月、1400例余りの手術経験を持って久留米大学外科学心臓血管外科に教授として戻ってきました。

研究者を目指す方へメッセージをお願いします。

研究は、辛くてきついものではありません。研究は、面白くて楽しいものであるべきです。もちろん、産みの苦しみの時期もあるでしょう。しかし、頑張って研究したことが人のため社会のために貢献できるとしたら大変素晴らしいではありませんか。そしてその成果は嬉しさだけでなく、自らの誇りにもつながるものと思います。アメリカ留学時代はさまざまな苦労がありましたが、研究室で出会った優秀なエンジニアと日本人留学生に大変刺激を受けました。Coselli教授、能勢教授、DeBakey教授という、歴史的に偉業を成し遂げた先生方の薫陶を受けて来られたことは、私のその後の人生に大いに影響を与えています。そういう「人との出会い」も、研究活動の醍醐味の一つだと思います。

研究を離れた休日などにされていることはありますか?

読書とランニング、サイクリング、それとPodcastといったところでしょうか。読書した時は必ず感想文、エッセンスを書き残しています。時間が経つと内容を忘れてしまうことがあり、せっかく読んだのにもったいないと思いました。2、3行でも自分の言葉が残っていると、読直後の感動感銘を思い出すことができます。今はなかなか時間取れませんが、フルマラソンを年間5本走った年もあります。サイクリングでは「輪行」といって、150kmほど走って帰りは自転車をばらして袋に詰めてJRで帰ってくる、というのをしばしば行っていました。気の合う仲間達と過ごす楽しい時間です。以前は通勤時間が長かったこともあり、Podcastを愛聴していました。その習慣もあり、今もPodcast で政治、経済、さまざまな分野の情報を取り入れています。

 サイクリング マラソン
気の合う仲間とのサイクリング(左)、初めて3時間台で走った北九州マラソン(右)

久留米大学は地域の『次代』と『人』を創る研究拠点大学を目指しています。今後に向けた意気込みをお願いします。

私達は患者さんに侵襲(負担)を与えつつ治療を行う職種です。患者さんと適切な信頼関係を構築できない人間では、その先の治療は決してうまくいきません。まず患者さんに信頼される人づくりを第一に考えています。

心臓血管外科は命そのものを扱う分野といっても過言ではありません。そんなフィールドだからこそ、昨今“ノンテクニカルスキル”の重要性が学会などでもよく語られています。ノンテクニカルスキルとは、技術や知識だけでは解決できないもの、医療の危機に対し人間性を深めることやチーム力で対応する能力、と言い換えることができるでしょう。そこには、ラグビーの思想がとても役に立つと思っています。私は学生時代ラグビー部でしたが、ラグビーが大切にする考え方と、優秀な外科医、信頼される外科医とは共通するものが多いのです。ラグビー憲章では「品位」、「情熱」、「結束」、「規律」、「尊重」の重要性を謳っています。医師として高い品位を保ち、情熱を持って難病に取り組み、チーム医療を大切にし、狡猾(こうかつ:悪賢いこと)を嫌い、そして互い (患者も同僚も)を尊重する。これらはまさに臨床医として不可欠な要素と感じています。そういう人づくりのために専門のコーチングも取り入れているところです。

ラグビー憲章

心臓血管外科での診療、研究においては、低侵襲な治療(小さな肋間開胸で行う弁膜症手術:MICS、カテーテルで行う大動脈弁置換術:TAVI、ステントグラフトなど)を積極的に取り組んでいきたいと考えています。それと、私のライフワークでもある植え込み型人工心臓による重症心不全の治療も広げていきたいと思っています。今後も地域の循環器治療施設の核として臨床、研究、教育の充実を目指していきます。


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略歴

1990年 久留米大学卒業、久留米大学医学部第2外科講座入局
1994年 Baylor College of Medicine(米国)、Department of Surgery留学
1997年 久留米大学医学部第2外科講座 助教
2005年 久留米大学医学部第2外科講座 講師
2008年 独立行政法人国立病院機構九州医療センター心臓血管外科 科長
2020年 久留米大学医学部外科学講座心臓血管外科 教授