研究・産学官連携の研究TOPICS 【研究者インタビュー】医学部神経精神医学講座 内村直尚教授
本学の研究活動は多くの研究者により支えられています。このシリーズでは、研究者を中心に、研究内容やその素顔を紹介していきます。
医学部神経精神医学講座 内村直尚教授
所属部署について教えてください。
医学部の神経精神医学講座の主任教授で、医学部長、副学長を兼ねています。
どのようなことを行っているのですか?
神経精神医学講座の主任教授として、教育・研究・臨床を推進し、それらをとおして地域医療、社会への貢献を目指し活動を行っています。
医学部長としては、医学教育について、国家試験対策やカリキュラム改革などに取り組んでいます。特に、現4年生からは新たなカリキュラムを導入し、3年生の夏休み明けに本人が希望する研究室に所属し研究に携わることで、学生の頃から「リサーチマインド」を養うことができるような仕組み作りを行っており、海外留学にも積極的に参加してもらうようにしています。学生が研究者と触れ合うことで、研究に興味を持つとともに、将来的に久留米大学に残る人が増えてくれることも期待しています。
また、講義はどうしても受動的なものになってしまうので、学生が能動的にモチベーションをもって学ぶことができるよう、昨年から、「協同学習※」を取り入れた意識改革も行っています。(※協同学習:アクティブラーニングの一つで、個人で学ぶだけでなく、仲間と共に学び、高め合う「協同の精神」をモットーにした能動的な学習方法。医師として、患者との信頼関係と円滑なコミュニケーションや、共に患者に向き合う多職種でのチーム医療の基盤となる能力の涵養につなげることを目的としている。)
副学長としては、昨年、「文医融合」の人間健康学部を開設したように、久留米大学が(医学部がある強みを生かし)いかに他の大学と差別化できるかということを目指した大学の再編などについて提案するなど、学長をサポートしています。
この道に進むことになったきっかけから、これまでの歩みを教えてください。
もともと不器用で細かいことをするのが苦手だったので、外科はあきらめ、内科系に行こうと考えていました。自分が他人より優れたところは何かと考えたときに、人とコミュニケーションをとることは比較的得意で、聞き上手なタイプだったので、いかに患者さんの話を聴けるかが重視される精神科に進みました。実家も医者ではなかったので、特定の科に行かなければいけないというのもなく、学生時代にクリニカルクラークシップでまわった精神科の自由な雰囲気にもひかれました。
また、医師になった当時は、がんや心臓疾患などに比べて、「脳や心」については、あまり解明されていませんでしたので、当時ブラックボックスだった部分を解き明かしたい、という思いもありました。
精神科に入った当初、大学院生として生理学講座に所属して研究する機会を与えられ、そこで、精神科の代表的な病気である「統合失調症」の原因について、研究することとなりました。大学院を卒業し、2年間海外留学して戻ってきたときに、生理学に進むのか、精神科に進むのか悩みましたが「人に接したい」という思いが強く、精神科を選びました。
留学から帰ってきたときの教授の勧めで、精神科の分野の中でも特に「睡眠」について学ぶことになりました。睡眠疾患は、精神疾患のほとんどに関係していて、睡眠という観点からさまざまな精神疾患を研究していくことは、視点を変えて大変意味のあることであるとの思いから、これまで睡眠に関する研究を続けてきました。患者さんのQOLを向上させるには、きちんと睡眠がとれているかどうかは重要で、統合失調症やうつ病、PTSD、発達障害などの患者さんの睡眠に関する研究を行っています。
また、研究と同時に意識しながらやってきたこととして、精神科の敷居を低くすることがあります。日本では、海外に比べ、精神科に受診することに抵抗があるのが現状です。それを「睡眠」を切り口にすることによって、少しでも理解しやすく、近寄りやすいものになるのではないかと、14年前から明善高校での昼寝を導入して、毎年4月に新入生に講義をしたり、保育園や幼稚園、小・中学校や市民を対象に年間50回ほどの講演をとおして睡眠の大切さを話したりしながら、精神科をより身近に感じてもらうことを目指した活動を行っています。
さらに、医師会の中にも、精神科部会を立ち上げて、地域の一般科の先生といろいろな面で連携をとるようにしています。かかりつけ医と精神科医が連携することで、精神的に悩みを抱えた方を早期に精神科に紹介することができるような仕組みを構築しており、実際に自殺者を年々減らすことにもつながっていて「久留米方式」と呼ばれる取り組みとして知られています。
このような睡眠を切り口としたさまざまな取り組みで、医療の現場で主役とは言えない精神科医が名脇役となれるよう、精神科医の社会への関わりについて意識しながら、研究や診療に取り組んできました。


これまでの研究活動のなかで、特に大きな転機はありましたか?
先に述べたとおり、精神科に入局した直後に当時の稲永和豊教授から、精神科でその病因が解明されていなかった統合失調症について研究するよう生理学講座に行かされたことでしょうか。
第一生理学講座は、とてもアカデミックで世界の最先端とされるような研究を行っていました。当時、西彰五郎教授というアメリカで長く教授をされていた先生が、日本に戻って教授になられ、世界でも数カ所しかできないような、電気生理学的研究ができるためモルモットの脳を使って行うように言われました。
それを受けて大学院に行き、世界で初めて、側坐核においてドーパミンD1・D2の受容体を電気生理学的に発見することとなりました。大学院卒業後は、アメリカのオレゴンヘルスサイエンスユニバーシティに留学し、アメリカにおける西教授の弟子にあたるNorth教授のもとでセロトニンを研究し、そこでもセロトニン2という受容体を世界で初めて発見することができました。
このような大きな発見ができたのは、生理学講座で研究の楽しさとともに学んだ「研究の厳しさ」が大きく自分を成長させてくれたからだと思っています。
生理学講座で研究を始めたとき、「まずは何事も自分で考えて計画を立ててやるように」「分からない時にはまず文献を読んで、どこが分からないかを明確にした上で人に聞きにくるように」という指導を受けました。また、人が1時間やるところを、2時間はやるということを一生覚えておくようにとも言われました。研究データについても、1度結果が出たからといって見てはもらえず、同じ結果が100回出たら見てやる(そのくらいやって出したデータでなければ信用できない)と言われ、そのときはつらかったですが、今考えると、いかに研究が奥深く厳しいか、研究者として生きていくには、研究に真摯に向き合い、きちんと結果を出すことが大事で、ごまかしがきかないものであることを徹底的にたたき込まれたのだと思います。それから何事にも人の2、3倍は努力する意識がつきました。
アメリカに行った時にも、同じことを繰り返すことで、自分の研究が磨かれていくものだということをたたき込まれていたおかげで、比較的楽に研究に取り組めましたし、精神科に戻ってからも生理学講座で身に付けた「リサーチマインド」で、困難にも立ち向かうことができました。
もう1つ、第一生理学講座でのエピソードとして、アメリカの留学から帰ってきたばかりの講師の先生から毎朝、「昨日はノーベル賞がとれるような成果が出たか」と聞かれたことが思い出に残っています。当時は、なぜそんなことを言われていたのか分かりませんでしたが、今になって思えば、研究者は、ノーベル賞を取ってやろうというくらいの意欲を持っておかないと研究を続けていけない、いつも自分にそう言い聞かせて高いモチベーションを持っておくことが、研究者には大事なのだということを言われたかったのだと思います。
今の若い人たちにそのような厳しさを伝えたいですが、強制するのは本意ではないので、自分の姿を見て同じようにやりたいと思う人が出てくるような、そういう研究環境を作りたいと思っています。
研究が進まない時期、どうやって乗り越えましたか?
壁には何回もぶち当たっています。人間は壁にぶつかって、乗り越える過程で成長していくもので、挫折を知らないと成長できないと思いますし、医師や研究者こそ挫折を体験すべきだと思います。また、患者さんというのは、皆さん病気にかかることで健康を失うという挫折感を味わっているわけなので、挫折を体験した医師の方が、患者さんの病気を共感でき、思いも共有もできると思っています。
ノーベル賞をとった研究者でも、挫折を繰り返してようやく発見にたどり着いたという話を聞きますし、幾度とない壁があって、それをどうやったら乗り越えられるのかをあらためて考えることで人間は思った以上の力を出せ、成長にもつながるのではないでしょうか。
ですから、自ら壁を求めて、挫折を求めても突き進むぐらいの気概で、壁や挫折があることは自分が成長できるよい機会と捉え、またそこでさらに自分の世界を広げて周囲の人たちとの和が広がっていく、ネットワークが広がっていくのだと考えるべきだと思います。
壁に直面したときには、そこで出会えた「人」に素直に助けを求めその声に耳を傾け、うまく連携をとりながら進めることで糸口は見いだせるものです。物事がうまくいっているときには、周りの人の大切さには気がつかないものですが、そのつながりや人との出会いをいかに自分のものにしていけるか、その出会いの大切さに早く気づいて、周囲の人のサポートを受けながら、壁を一つずつ乗り越えていくことが、研究においても臨床においても、成長していくためには不可欠だと思っています。
お仕事以外に大事にしているものはありますか?
やはり家庭が安心して帰れる場でなければ、自分自身の生活も乱れてきますし、家庭は当然大事だと思います。
あとはやはり、友人でしょうか。大学の友人だけではなく、昔の小学校や中学校、高校のときの仲間というのは今、とても大切にしています。最近よく、中学校や高校の同窓会をするのですが、同窓会に参加すると、当時に戻れるんですよね。話したら、すぐその頃に戻ることができるし、その頃の楽しかったこと、つらかったこと、悲しかったことなどを話すことでリフレッシュできます。昔の友人というのは、相手がどんな職業に就いているかなど今の立場は全く違っていても関係なく、その時に戻ることができる。
だから、年をとればとるほど、小中学校の頃の同級生というのは、すごく気持ちをリラックスさせてくれるというか、初心に戻れるというか、嫌なことがあってもそういう友達と話せば、気持ちが楽になる。そういった意味で、同級生は自分のエネルギーを蓄えることができる大きな存在です。
現場から離れて気分転換や休日にどんなことをされていますか?
自然にふれながら歩くことが好きで、時間があれば短時間でも散歩するようにしています。写真を撮って歩くというわけではなく、ただただ景色を自分の目と脳に焼き付けていくだけですが。
普段、車で移動しますが、車から見る風景と歩いて見える風景は違い、歩くときは立ち止まったり、振り返ったりして見ることができます。車で走っていると、道端に咲いている花にも通り過ぎて気づかず、四季の移り変わりにも気づきにくいものですが、ゆっくりと歩くことで、そういう些細な変化にも気付くことができます。今の時代、ついつい急いでしまって通り過ぎてしまいがちですが、余裕があるときに、少し散歩をして普段気付かない風景にふれることは、気分転換にもつながりますし、そこで風の音や空の青さや、四季の移り変わりを感じることで、自然の中で人間は生かしてもらっているということをあらためて感じるようになりました。
若い時には全く感じませんでしたので、年をとったということでしょうか。


現場での活動をとおして、社会、人にどのようなことをもたらしたいと思いますか?
我々は医師ですから、研究をとおして、何らかの形で医療面にフィードバックすることができます。研究をすることによって医療の進歩を促し、それを患者さんに役立てることができると思います。今の日本は、平均寿命は長い一方で、健康寿命があまり長くないという問題がありますので、いかに健康寿命を延ばして、健康で長生きしていけるかを、「睡眠」という観点からの研究を通して、これからの超高齢社会に貢献することができればと考えています。
また、教育という観点で考えると、医師として研究という一つの目標に向かって悩み取り組んだ過程が重要で、将来に大きく生きてくると思っています。医学部としては、そのような「リサーチマインド」を持ち、患者さんに共感できる「心ある」医師を育て、今後の医療を支えていきたいと思っています。
医師を目指す方へメッセージをお願いします。
久留米大学医学部では、地域に根ざした医療人を育てることを目指し、教育を行っています。
そんな医学部で学び医師を目指す皆さんにぜひ伝えたいことは、「一つの目標に向かって努力を続ける」ことです。「1万時間の法則」と言われるものがあって、1つのことを、1日約3時間頑張ってやると、1年で約1000時間、それを10年間続けると、1つのことに対して、1万時間を費やすことになります。1つの道で一流になるには、少なくとも1万時間は必要であるということは、ある作家の言葉ですが、1つのことを1日3時間でもいいから10年間続ければ、臨床であれ研究であれ、その道では一流になり得る可能性を秘めている、とも言えると思います。研究者や医師を目指して是非、努力を継続することの大切さを意識してほしいと思います。
もう一つ伝えたいのは、「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼ばれる、答えの見つからない状況に耐えられる能力です。我々の人生の中では、うまくいくときよりもいかないときのほうが多いと思います。そのうまくいかないときに、いかに耐えるかが、その人にとって大きな力につながっていくということです。少々つらいことがあっても、それをある程度受け入れて、耐えている時間が共感力を高めることにつながります。決してムダではなく、必ずそれは実ると信じて前向きに学んでいってほしいと思います。
久留米大学が「地域の『次代』と『人』を創る研究拠点大学」を目指すことについて。
100歳まで生きる時代を迎え、80歳を過ぎると2人に1人はがんになる、と言われています。ということは誰でもがんになってもおかしくないわけで、がんの予防に力を入れるということはとても大事なことだと思います。
また、がんにならないようにすることに加え、がんになった後に、どのような生活をしていくかということもとても大事で、このブランディング事業の中では、がんになった後でもちゃんと仕事について、普通に社会生活を送っていくことができるようにサポートすることも目指しています。このように久留米大学では、まずはがんの予防、そしてがんになった後は、最新の治療を行いQOLを高めるために、精神科の医師や臨床心理士を中心に心理面からサポートし、また、麻酔科の医師が痛みのコントロールに取り組んでいます。
このような全面的なサポートにより、がんになっても悲しむ必要はない、がんと共に生きていける社会を、今回のブランディング事業のなかで目指していくことによって、地域の皆さんの生活を支えることにもつながりますし、地域社会に貢献できるのではないかと思います。
久留米大学では「がんの先端治療研究」をひとつの柱として、医師、コメディカルが連携し、行政や地域の人々の協力を得ることによって、大学を挙げて「がんと共生できる社会づくり」を目指し取り組んでいきます。
略歴
1982年 3月 久留米大学医学部 卒業
1986年 3月 久留米大学大学院医学研究科生理系専攻博士課程 修了
1986年 4月 久留米大学医学部神経精神医学講座 助手/生理学第一講座 兼務
1987年5月31日~1989年4月30日 米国オレゴン州 Oregon Health Science University へ留学
1990年 4月 久留米大学医学部脳疾患研究所 助手/神経精神医学講座 兼務
1992年 9月 久留米大学医学部神経精神医学講座 講師
2000年 4月 久留米大学医学部神経精神医学講座 助教授
2007年 4月 久留米大学医学部神経精神医学講座 教授
2011年 4月 久留米大学病院 副病院長(~2013.3.31)
2012年 4月 久留米大学高次脳疾患研究所 所長
2013年 4月 久留米大学 医学部長
2016年 10月 久留米大学 副学長